2013年6月24日月曜日

正岡子規と司馬遼太郎:<<日本の話>>

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●『坂の上の雲ミュージアム』


 前回日本に行ったとき(数年前)は近くの図書館に読書三昧であった。
 目的は宮城谷晶光。
 3,4本読みきった。
 だが、これ大失敗。
 中国の戦国春秋の時期の作品を一気に複数読むと、登場人物ならびにストーリーがごちゃごちゃになり、結果として読み終わったときには印象はあるが、しばらくすると、何がなんだかわからなくなり、ついにはほとんど記憶の中から消えてしまうことになってしまった。
 ちなみに蛇足で付け加えると宮城谷晶光の作品で好きなのは『太公望』と『晏子』である。

 今回は司馬遼太郎。
 棚に『街道をいく』が全巻揃っている司馬好きの家に泊まっている。
 これまで読んでいない小説もそこそこあった。
 引っ張りだしてページをめくる。
 まずは『韃靼疾風録』。
 そして『箱根の坂』と続く。
 この2本は初版本という豪華さ。
  



 
 


 ここまで読んで時間切れ。
 『播磨灘物語』の3巻は借りてスーツケースに入れて持ってきた。


 松山も最近、司馬遼太郎に大変お世話になった街である。
 作品は『坂の上の雲』。
 もし現代小説の中で後世に残るものがあるとしたら、この本だろうと言う人も多い。
 NHKでドラマ化されて一気に世に広まったものでもある。

 司馬遼太郎によって歴史の舞台に引き上げられた人物は多い。
 その最たるものは坂本竜馬。

 

少なくとも私の学生時代には坂本竜馬は維新では脇役でありマイナーな人物であった
 せいぜい出てくるのは、時代劇映画であった。
 新撰組に取り囲まれた坂本竜馬を助けに鞍馬天狗がくる
 そして曰く、
 「坂本さん、薩長連合がなりましたぞ」
 「おお倉田さん、日本の夜明けが近いぞ!」
って程度のちょい役に過ぎなかった。
 その竜馬が見直され、誰でも知っている歴史上の人物になったのは司馬遼太郎のおかげといっていい。
 たった一冊の本、『竜馬がいく』でである。
 維新動乱のはるかな点景が歴史の舞台に引き出され、スポットライトに浮かび上がり、あたかも日本の救世主のような印象を国民に与えている。
 「司馬遼、恐るべし
である。


昭和偉人伝 #8「司馬遼太郎」
http://www.dailymotion.com/video/x1o1a4o_%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%81%89%E4%BA%BA%E4%BC%9D-8-%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E_tv
 』

  ちなみに坂本竜馬の墓は京都にある。
 護国神社の中にあり、中岡慎太郎の墓と並んである。
 学生のころ詣でたことがある。
  その頃はまだ知られた存在ではないためひっそりとあった。
 花を添えた。
 その時、中岡ではなく、倉田典膳(鞍馬天狗)だったら面白かったのにと不純にも思ってしまった。




●『坂の上の雲ミュージアム』


●『坂の上の雲ミュージアム』

 正岡子規、といえば教科書にも出てくる著名な文学人。
 学校の試験にはよくでてくる名前。
 でも、名前のほどにはその中身は知られていない。
 松山出身ながら栄光は同居人であった東京人の漱石に奪われてしまっている。
 うすっぺたいたった一冊の本で、いわく『坊ちゃん』。
 「松山=坊ちゃん」
という等式は日本の標準にまでなってしまっている。

 その肩身の狭い地元人を輝く玉座に引き据えてくれたのが司馬遼太郎。
 松山人にとっては司馬遼太郎とは「感謝、感謝」の人物となる。
その気持ちで作ったのが「坂の上の雲 ミュージアム」。
 「坊ちゃん」は列車になり、坊ちゃん菓子にはなったが、ついに「坊ちゃん博物館」は作られなかった。
 「坂の上の雲」以降、街中が子規一色になった。
 どうでもいいような場所まで観光化された。
 市は「子規記念館」を作った。


●『松山市立 子規記念博物館』他

 で、子規ってなにをやった人?
 教科書ならこうなる、
 「歴史に埋もれていた俳句を近代に復活させた人」
 そして著名な句といえばこれ
 「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」
 有名ではあるが松山には貢献していない。
 「 松山や秋より高き天主閣」
 これは松山賛歌であるが、でもほとんど誰も知らない。

 松山の宣伝に貢献している度合いを懸案してみると「漱石 坊ちゃん」はなんといっても横綱。
 もしこの薄っぺらい本がなかったら、松山は単に道後温泉のある街以上にはならなかったのではないだろうか。
 次は司馬遼太郎で関脇といったところか。
 そして子規は、地元人には悪いが小結というところになる。
 つまり、誰かが小説のような物の上で遊ばせないないと、人の心には染み渡ってこない。
 典型は吉川英治の「新書太閤記」の秀吉や「宮本武蔵」。
 また、司馬遼太郎なら坂本竜馬。
 司馬遼太郎は子規を「坂の上の雲」で遊ばせた。
 それによって、松山が道後温泉という目玉の他にひと目に多く触れるようになった、といえるのではないだろうか。
 もちろん、松山人にとっては逆に子規は大関の判定であろうと思う。

 また蛇足だが、「坂の上の雲」はもっている。
 これは文庫本で日本から取り寄せた。




 『「坂の上の雲」と司馬遼太郎とその時代』については下記の本がいい。


● 関川夏央著『「坂の上の雲」と日本人』 文庫本2009/10/10 単行本2006/03

 この本からの各巻の概要をコピーしておく。














【 うすっぺらな遺伝子 


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